6月 「『見つめる-見つめられる』関係について」
本格的に梅雨の時期となってきました.
今回の「Teachers’ Voice」をご担当くださるのは竹内先生です。
今回も人形がテーマです.
「飯詰籠(いづめこ)人形」を通して感じたことについてお話し下さいます。
以前、山形県鶴岡市に、ある心理学の面接調査で数日間滞在した際、「飯詰籠(いづめこ)人形」というものを購入しました。
そこでは戦後間もなくまで、炊き上げたご飯の保温のために使っていた藁で編んだ「飯詰籠」に赤ん坊を入れて、農作業で手が離せぬ間の「保育籠」として使っていたのだそうです。
人形は、4年前の震災で一部が壊れ、傷ついてしまいましたが、しっかりした籠に守られ、なんとか生き残って今も居間に飾られています。
籠の中で乳児が抱えているのは「でんでん太鼓」と「猫の人形」です。
でんでん太鼓を振って自分で作り出した音を楽しみ、人形を生きものに見立てて遊ぶという、みかけ上は完全に自律したひとり遊びの世界がそこに見事に造り上げられています。
田畑で日中働いている農家の婦人達にとって、安心して赤ちゃんを任せられる居場所としてきっと重宝されたのだろうと思います。
さてこの人形を少し回転させ、それを正面から見つめてみましょう。
これまで赤ん坊ひとりで自足していた世界に、見つめる「私」が参加し、赤ちゃんと私が「見つめ-見つめられる」関係の中に入ったことを感じます。
農作業を終えた婦人達は、きっと大人しくしてくれていた赤ん坊を抱き上げて、あやしの言葉や表情をしっかりと投げかける機会を、短いながら仕事を終えた安らぎの時に持っていたに違いありません。
ふり遊びにせよ、みたて遊びにせよ、それは自分とは異なる他者が居ることを前提しています。
日頃からの養育者や周りの人たちとのやりとりを通じた関係の中で見出した、「私」と「あなた」を知るからこそ、でんでん太鼓を振って感覚的に楽しむだけでなく、「物としての人形」を「意志のある生き物」としてみたてて遊ぶ(表現する)ことができるのだと思います。
この人形はそのような、赤ん坊を優しく包み込んでいる他者の気持も、即ち人形を見つめるあなたもその鑑賞対象として含み込まれた造形なのだと考えると、愛されてきた所以がわかるような気がします。
(竹内伸宜)